動画より文章が好き

2020年1月26日日曜日

雑記

何かのソフトウェアのチュートリアルや、ある話題への言及内容を確認する為に動画を観る事はたまにあるのだが、自分はややそれをストレスフルに感じる。映画やドラマは別として、ある話題を理解する為には、まずそれを説明したテキストを探し、無かった時に動画を漁るようにしている。

なぜそうなってしまうかというと、一言でいえば動画は『自分のペースで内容を飲み込めない』からである。簡単な話をゆっくり聴かされている時は心であくしろよと毒づくし、かといってすぐに理解できない内容をハイペースで聴かされると、理解できるようになるまで都度その部分を手動で巻き戻さなければならない。また、気になる話題の前振りとしてどうでもいい事を延々と話されている時は、その話題への言及が始まる位置を探す作業が発生する。

なので、全くではないにしろ自分は恐らく周りの人と比べるとそれ程動画を観ない方だと思う。

一方で文章を読むのは好きである。理由はまさに上記で述べた内容と逆で、自分の理解速度に合わせての内容の咀嚼が行いやすいからだ。文章なら理解できない所ですぐ立ち止まることが出来るといったように、自分の認知及び行動の同期が動画の時ほど要求されない為気が楽なのである。また文章だとじっくり向き合う分、書き手の思考に深く接近できている感覚になれる。動画で文章程に濃密な構成の内容を作ろうとすると、作る側も観る側も多大なコストを要するだろう。

しかし、自然の様相など視覚的に確認した方が手っ取り早く理解出来るコンテンツもあるのも事実である。コンテンツの主体が視覚的な要素にあり、説明はあくまで補助的な物・・・という内容であれば、自分も動画から情報を得るようにしている。

要は動画とは、ある内容の『概形』を理解するのに特化したメディアなのだろう。

ただ自分の立場的にこのままでいる訳にもいかず、もっと動画に慣れ親しむ為の努力を地道に続けなければならないのだが、youtubeで何かを検索した時に、デカいタイトルやテロップの載ったサムネイルが、まるで示し合わせたかの様にドンと複数現れるとつい溜息が出てしまうのである。皆が横一列になって面白い物を見せようとしているのだ。