ここ数か月は、趣味周りの進捗等を日記で書くという状況が続いている。当然ながら紙に万年筆という手描きのスタイルである。併せて、今まではルーズリーフを使っていたのだがここの所は大学ノートを再び使用している。
最近、基本的に自分しか見ないであろうその日記(アナログ日記とでも言おうか)をつける事の意味について、改めて考える様になった。というのは本ブログで前回、物申したい事が無くて記事が書けないのは、中々デリケートな話題に触れられない事も要因の一つだからだと述べたのだが、だからこそこのアナログ日記の存在意義が自分の中で意識される様になったのである。自分しか見ないが為に、様々な話題への私見を自由に書く事が出来るのもそこ位なのだ。
とは言え、これまで積極的に時事問題などに関して日記で言及してきた事は無かった。あったとしても、コロナ周りの状況や昨年11月以来の株価の動き位である。それもその筈で、そもそもこの日記自体が趣味関連の記録を目的にしていたのだ。
そういう事を意識してから、少しずつ時事関連の問題にもアナログ日記上で触れる様になったのだが、こうする気になった理由は他にもある。それは、後にそれを読み返した時に『書いた当時の状況や感覚』を思い起こす事が出来るからだ。ほんの数か月前に書いた内容であっても興味深い記述が有ったりして、その時その時のレポートを読んでいる様な気持になるのである。また、日記に書いた内容をピックアップ及び希釈して本ブログで取り上げる事も出来なくは無いだろう。
それに伴い、アナログ日記を書く時に今一度心得ておきたい事項を頭の中で纏めていた。それは、なるべく平坦なトーンで文章を書く(本ブログ程では無いにしても)様にし、また気が滅入るのを避ける為ネガティブな事は書かないか、書くにしてもある程度面白おかしく書く様にする、といった事である。目安としては、何らかの間違いで他人がこれを見た時に、一つの資料を読んでいる様な気分にさせられる文章ならOKといった所である。
他に今後少し気を付ける事があるとするなら、字をもう少し読める様に書くといった所である。これまでぐしゃぐしゃと書き殴っていてお世辞にも読みやすい字にはなっていない為、上記の気づきをきっかけとしてこれも留意しようと思う。
ただ、以前からそうであった様に『毎日日記をつける』事には拘らない。日が空いてしまい、その中で何らかの出来事があったなら、後日纏めて触れるというスタイルである。文章の長さも同様で、長文を描くのは気分が乗った時だけである(それ以外の時は数行程度だ)。
今アナログ日記をつけている大学ノートが切れそうなので、これを機にもっと日記帳らしいノートを物色してみるのも良いかもしれない。なるべくインクが裏抜けしない様な紙質の物にしたいのだが、果たして・・・・。